
1: ◆qQDmM1OH5Q46 2016/09/02(金)21:48:32 ID:???
移民の「祖国への忠誠心」はたかだか数十年では消えない
ドイツで噴出したトルコ系移民の思い
川口 マーン 惠美
(略)
忠誠心は、理性よりも感性に近い
去年、ドイツには110万人もの難民が入った。もちろん、彼ら全員が滞在を認められて移民となれるわけではない。
しかし、実際問題として、相当数の外国人がドイツに留まることは確実で、つまり、これからのドイツの重要な課題は、
いかにして「文化も習慣も違う人々をドイツに統合するか」ということになる。
「統合」が、言葉を覚え、基本的人権や民主主義の仕組みを理解し、ドイツの法律に従い、その文化に馴染むという話なら、
それは時間をかければ可能だろう。ドイツ人が移民にも、ドイツ的文化、ドイツ的価値観を共有してもらおうとするのはわかる。
感謝の念を期待するのもわかる。しかし、冒頭の「忠誠心」となると、話は別だ。
忠誠心はそんなに簡単には熟成しない。40年の歴史を持つトルコ人移民でさえ、いざというときには、心はトルコに回帰する。
そして、それは、ドイツに34年も住む私もおそらく同じだ。
私はドイツ語を解すし、ドイツ文化も受け入れている。法を犯すことなく、税金も納め、図らずもドイツの少子化対策にまで貢献した。
しかし、だからと言って、ドイツに対して忠誠心があるかというと、おそらくないと思う。
そもそも忠誠心というのは、何か、事件が起こらない限り湧いてこない。それは日本にいる日本人だって同じだろう。
平和な日常生活では、忠誠心の登場する舞台がない。忠誠心が出てくるには、現在のドイツのトルコ人のように、二者択一を迫られる状況が必要だ。
私は、今まで幸いにも、ドイツか日本かというような切羽詰まった状況に陥ったことがなかった。
しかし、もし、そういう事態が生じ、意思表示が必要な状況に立たされたなら、今回のトルコ人たちと同じく、日本を取るだろう。
しかもそれは、何かを考えた結果ではなく、“心の赴くままに”そうなるような気がする。ひょっとすると、これが忠誠心かもしれない。
だとすれば、忠誠心は、理性よりも感性に近い。忠誠心を育むのは、自分が外国人だと思っているうちは無理だ。
かつて外国人だったということさえ忘れるほどの長い時間が経過する必要がある。
大和時代に大陸から日本に来た人たちは、きっと日本に忠誠心がある。80年前に来た人たちには、まだないだろう。
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