
1: ◆qQDmM1OH5Q46 2015/10/16(金)07:11:41 ID:???
世界記憶遺産「南京大虐殺」登録は日本の失態~ユネスコがどんな組織か知らなかったのか?
2015.10.16(金) 古森 義久
(略)
伏魔殿のようだったユネスコという組織
?第2に、日本はユネスコの特殊性や記憶遺産の登録システムの特徴をきちんと理解していなかった。
?日本にはまず国連に対して、戦後の早い時期から幻想とも呼べるような特殊な思い入れがあった。
「世界の平和と安定を保つために、世界のどの国家よりも強い権限を有する国際組織が国連である」
という信仰にも近い認識だった。しかも、国連は「公明正大」だと信じ込む傾向が戦後の日本に長く根を張ってきた。
?だが現実には、国連とは各国のギラギラとしたエゴがぶつかりあう駆け引きの場である。
個別の主権国家がただ集まっているだけで、国連という手段をただただ利用して
自国の利益になる事業を推し進めることが優先される。
?特に記憶遺産を含む世界遺産事業を仕切るユネスコは、
国連の多数の専門機関の中でも強烈な悪臭を放つ伏魔殿のようだった歴史がある。
?日本ではユネスコといえば、「国連教育科学文化機関」という名称どおり、
世界の科学や文化の発展に寄与する崇高な使命の国際組織だと思っている向きが多いだろう。
だが、ユネスコには組織全体が1人の特異な人物に事実上、乗っ取られてしまった不幸な時代もあった。
?ユネスコはパリに本部をおき、組織の実務の最高責任者は事務局長である。
1974年、そのポストにセネガルの教員出身のアマドゥ・マハタル・ムボウという人物が選ばれた。
押しが強く、頭の回転も速いムボウ氏は、アフリカ人として初めて国連機関のトップに立った。
?同氏は事務局長の座を結局13年間も独占し、その間、反欧米の姿勢を強めた。
世界の情報を欧米諸国のニュースメディアが独占するのはけしからんとして、
「新世界情報秩序」という野心的な構想を打ち出した。ユネスコが主体となって
世界の報道や情報の秩序を再編するという案だった。
?ムボウ氏はユネスコの運営でも独裁をきわめた。特に問題視されたのが度重なる縁故人事、
公金流用などである。米国のレーガン政権は1984年、国連への供出金の4分の1を
出してきたという立場から、ユネスコの会計監査を求めた。パリのユネスコ本部でいよいよ
米国政府代表らが立ち入り監査をしようとすると、その直前に不審な火事が起きて、
書類の多くが燃えてしまった。パリ警察は放火だと断定した。
?米国はムボウ体制に強く抗議し、1984年末にはユネスコを脱退した。
復帰したのは、それから20年近く経った2003年だった。
その間、イギリスやシンガポールもユネスコのあり方に抗議して脱退している。
?ユネスコとはそんな不透明、不明朗な歴史を持つ国連機関なのである。
内外からの政治的操作に弱い体質の機関だと言ってもよい
(ただし、日本外務省出身の松浦晃一郎氏が事務局長を務めた2008年からの10年間は国際的な評判は良かった)。
以下略 全文 JBPRESS 全5ページ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44996?page=4...