
【侵略されたままの竹島】「独島巡礼」竹島に渡った人の数が、昨年の20%増 ~韓国の領土の根拠に『三国史記』あげるも、竹島に関する記述は無い [H28/9/2]
1: ■忍法帖【Lv=15,メイジキメラ,UJe】 第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb 2016/09/02(金)15:37:58 ID:???
記事名/国会議員も学生も…韓国で「独島巡礼」大盛況、歴史直視せずパフォーマンスの舞台に 下條正男・拓殖大教授
韓国の超党派の国会議員団が8月15日、竹島に上陸するという“政治ショー”を繰り広げたが、
韓国では今年、竹島に渡った人の数が、昨年の20%増になったそうだ。
韓国の老若男女が競って訪問しているといえる。小学生から大学生、果ては歴史や地理を教える先生までが、
何ら疑問も持たずに「独島(竹島)巡礼」の途についている。
韓国の西南部に位置する全羅道では「親孝行ツアー」なるものを企画して、老人たちが巡礼にやってくる。
○「独島は韓国領」と訴える留学生育てる
竹島を管轄している韓国・慶尚北道庁では毎年、地元の大学で学ぶ留学生を対象に、
「独島は韓国領」とする弁論大会を実施して、優秀者には竹島訪問の大盤振る舞いをする。
今年でその催しも6回目だという。
それは留学生たちを「独島は韓国領」とするメッセンジャーとし、帰国後の活動に期待しているのだ。
また竹島に上陸した人々の動向を記したインターネット上の記事を読むと、
大学生たちは竹島に築かれた接岸施設で歌ったり踊ったり、さまざまなパフォーマンスを演じている。
竹島が韓国の聖地となった証である。
だが、そうした人々は、竹島が国際法的にも歴史的にも韓国領であると、証明ができるのだろうか。
韓国側では盲目的に「独島は我領土」と唱え、竹島は「512年に韓国領となった」と信じて疑わない。
それは、12世紀に成立した『三国史記』(「新羅本紀」)の智証王十三年(512年)夏六月条に、
「于山国(うさんこく)帰服」との記述のあることが、根拠となっている。
○竹島が韓国の聖地に
ここには、「于山国」と称していた欝陵島(うつりょうとう)が、新羅に服属した事実が記されている。
韓国側ではこの『三国史記』に依拠して、その属島である竹島も、欝陵島と一緒に韓国領になったとしているのだ。
しかしこの『三国史記』には、竹島に関する記述は一切ない。それなのにどうして、
竹島が「512年に韓国領となった」とする根拠になるのだろうか。
その点に関して、大学生や地理・歴史の先生も疑問には思っていないようである。
○于山国関する記述に竹島含まれず
『三国史記』をよく読んでみると、智証王十三年夏六月条では、「于山国帰服」としたあとに続けて、
于山国の疆域(きょういき)が「地方一百里」と明記されている。この「地方一百里」という表現は、
于山国の範囲が欝陵島一島であったことを示している。当然、その中に竹島は含まれていない。
これは、13世紀に成立した『三国遺事』も同じである。『三国遺事』では、
于山国の範囲を「周回二万六千七百三十歩」と明記しているからだ。
この「周回二万六千七百三十歩」という距離は、于山国の1周が「二万六千七百三十歩」あることを示している。
1歩は唐尺によると1・6メートル。2万6730歩は、ほぼ欝陵島の海岸線の長さに当たる。
欝陵島から東南に90キロ近くも離れた竹島をその属島として、「独島は我領土」の証拠とするのは無理がある。
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