1: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:19:10.25 ID:???.net
【歴史戦WEST】
(画像:日中戦争に従軍した西山源次郎さん。自身のカメラを持参して、当時の中国の様子などを撮影したとみられる)
「南京事件」はあったのか、なかったのか-。昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、
約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされ、いまだに犠牲者数や存否をめぐって論争が続く南京事件。
中国側が「30万人」と主張する犠牲者数は、日本国内では支持する有識者はほとんどいないものの、国を挙げた中国側の
執拗(しつよう)な取り組みによって30万人説が国際的に一人歩きしている側面もある。事実はどうだったのか。南京攻略戦から
78年を経て、新たに明らかになった元将校の日記や手紙からは規律に満ちた日本軍の様相が浮かび上がる。反日姿勢を強める
中国側の喧伝にはますます疑念を抱かざるを得ない。(歴史戦WEST取材班)
・「泥の兵隊」日本軍を苦しめた南京への道
歳月の長さを感じさせる黄ばんだ手帳や、封書の束、モノクロ写真…。その数はざっと50点以上はあるだろうか。
いずれも約80年前に上海、南京攻略戦を皮切りに日中戦争を戦った陸軍少尉、西山源次郎さんが残した貴重な記録だ。
《毎日十里(約40キロ)余り歩いて、毎朝腰が上がらない。(中略)南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、攻略戦に早く
参加すべく兵の士気があがった》
源次郎さんが手帳に鉛筆でつづった文章からは、昭和12年初冬、当時の中華民国の首都、南京の攻略に向かう日本軍将兵らの
息づかいが聞こえてくるようだ。
「父が南京攻略戦に参加していると知っていれば…」。源次郎さんの長男、邦夫さん(78)は父の遺品を手に語る。源次郎さんは
平成5年、87歳で死去。18年に母も亡くなり、遺品を整理していた際、父の日記や戦地から母に送った手紙など膨大な資料を見つけた。
資料を見て初めて、父が南京攻略戦に参加していたことを知った。
源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に勤務していた昭和12年9月に召集された。この年の7月、日中戦争が
勃発しており、源次郎さんは陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。
同年12月10日から始まった南京総攻撃。当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した同月13日までの出来事が
1~2行、簡潔に記されているだけだが、時折次のような記述もある。
《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する
場所もなく立ちっ放し。体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》
南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は主に
田園地帯で、悪路を進軍したという。
・南京城…「随分馬鹿げたものを作った」
さらに南京では厳しい戦いを迫られた。戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。
《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。秣陵関を出発すると、
野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》
源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、
吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、城壁の高さは二十米あり、千二百発の
砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城壁をよじ登って突入した。残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。
夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》
手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。空が白み始め、
眼下に広大な南京城内が姿を現す。
《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。
(>>2以降に続く)
産経WEST 2015.5.11 11:00
http://www.sankei.com/west/news/150511/wst1505110006-n1.html
(画像:日中戦争に従軍した西山源次郎さん。自身のカメラを持参して、当時の中国の様子などを撮影したとみられる)
「南京事件」はあったのか、なかったのか-。昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、
約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされ、いまだに犠牲者数や存否をめぐって論争が続く南京事件。
中国側が「30万人」と主張する犠牲者数は、日本国内では支持する有識者はほとんどいないものの、国を挙げた中国側の
執拗(しつよう)な取り組みによって30万人説が国際的に一人歩きしている側面もある。事実はどうだったのか。南京攻略戦から
78年を経て、新たに明らかになった元将校の日記や手紙からは規律に満ちた日本軍の様相が浮かび上がる。反日姿勢を強める
中国側の喧伝にはますます疑念を抱かざるを得ない。(歴史戦WEST取材班)
・「泥の兵隊」日本軍を苦しめた南京への道
歳月の長さを感じさせる黄ばんだ手帳や、封書の束、モノクロ写真…。その数はざっと50点以上はあるだろうか。
いずれも約80年前に上海、南京攻略戦を皮切りに日中戦争を戦った陸軍少尉、西山源次郎さんが残した貴重な記録だ。
《毎日十里(約40キロ)余り歩いて、毎朝腰が上がらない。(中略)南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、攻略戦に早く
参加すべく兵の士気があがった》
源次郎さんが手帳に鉛筆でつづった文章からは、昭和12年初冬、当時の中華民国の首都、南京の攻略に向かう日本軍将兵らの
息づかいが聞こえてくるようだ。
「父が南京攻略戦に参加していると知っていれば…」。源次郎さんの長男、邦夫さん(78)は父の遺品を手に語る。源次郎さんは
平成5年、87歳で死去。18年に母も亡くなり、遺品を整理していた際、父の日記や戦地から母に送った手紙など膨大な資料を見つけた。
資料を見て初めて、父が南京攻略戦に参加していたことを知った。
源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に勤務していた昭和12年9月に召集された。この年の7月、日中戦争が
勃発しており、源次郎さんは陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。
同年12月10日から始まった南京総攻撃。当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した同月13日までの出来事が
1~2行、簡潔に記されているだけだが、時折次のような記述もある。
《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する
場所もなく立ちっ放し。体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》
南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は主に
田園地帯で、悪路を進軍したという。
・南京城…「随分馬鹿げたものを作った」
さらに南京では厳しい戦いを迫られた。戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。
《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。秣陵関を出発すると、
野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》
源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、
吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、城壁の高さは二十米あり、千二百発の
砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城壁をよじ登って突入した。残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。
夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》
手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。空が白み始め、
眼下に広大な南京城内が姿を現す。
《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。
(>>2以降に続く)
産経WEST 2015.5.11 11:00
http://www.sankei.com/west/news/150511/wst1505110006-n1.html
2: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:20:38.05 ID:???.net
(>>1の続き)
・踏み荒らされた家屋に「惜しい」
日記は数日途絶え、16日から再開する。
この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、部下を率いて城壁上を移動。《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、
死体も数十ありたり》という状況だった。
午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。
17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定…(中略)十時には早くも出発》。次の任務地に向かうため南京城を離れた。
自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。
「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、
急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。このように迅速に行動できるのは、高い士気と規律を
維持していたからに違いない」
日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも南京城内の様子について触れている。南京陥落から約1カ月半後の
昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。
《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者も
あるやうです。残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》
当時、南京城内にいた住民らは、欧米人らでつくる国際委員会が設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。
だが、多くは貧しい人々ばかりで、裕福な住民らは早々に南京を脱出している。
日本軍が富裕層の家から高級品を略奪したとする意見があるが、中国軍の仕業との見方もある。
源次郎さんの記述について、邦夫さんは「陥落直後の城内の掃討作戦中に目にした様子だろう」と推測した上で、「文面からは、
部下の略奪を嘆いているのではなく、部下から発見の報告を受け、父はすべてに対応しなければならず困っていたのでしょう。
こうした状況からも規律が守られていたことがうかがえる」と語る。
さらに、家の中は中国軍により《書籍や家宝となるやうなものが沢山荒し放題あらされて或いは踏み荒らされ》といった状況で、
《惜しいと思いました》と無念さを記している。
・「支那の兵隊」と同一視は「かなわない」
日本軍は南京城内で住民を殺し、ほかの地域でも残虐行為を行った-と中国側は主張する。
しかし、その後山東省や北京近郊などの戦線で任務に就いた源次郎さんが妻にあてた私信からは、日本兵と住民の
異なる関係が浮かび上がる。
手紙では、中国人の匪賊(非正規武装集団)と住民の戦闘が絶えず、住民が殺されたり、子供が誘拐されたりする悲惨な
出来事が繰り返されているとし、《いくら日本軍が討伐しても、三年や五年で尽きるものではない》と訴えている。
また、住民との関係について《支那では兵隊は良くない人間ばかりなので(住民は)日本軍も同じように考えているのです。
兵隊は悪いことをするものという考えがあるからすぐ逃げる。支那の兵隊と一緒にみられてはかなわないね》
だが、日本兵に対する住民の見方は徐々に変化する。
(更に続く)
・踏み荒らされた家屋に「惜しい」
日記は数日途絶え、16日から再開する。
この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、部下を率いて城壁上を移動。《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、
死体も数十ありたり》という状況だった。
午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。
17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定…(中略)十時には早くも出発》。次の任務地に向かうため南京城を離れた。
自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。
「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、
急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。このように迅速に行動できるのは、高い士気と規律を
維持していたからに違いない」
日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも南京城内の様子について触れている。南京陥落から約1カ月半後の
昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。
《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者も
あるやうです。残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》
当時、南京城内にいた住民らは、欧米人らでつくる国際委員会が設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。
だが、多くは貧しい人々ばかりで、裕福な住民らは早々に南京を脱出している。
日本軍が富裕層の家から高級品を略奪したとする意見があるが、中国軍の仕業との見方もある。
源次郎さんの記述について、邦夫さんは「陥落直後の城内の掃討作戦中に目にした様子だろう」と推測した上で、「文面からは、
部下の略奪を嘆いているのではなく、部下から発見の報告を受け、父はすべてに対応しなければならず困っていたのでしょう。
こうした状況からも規律が守られていたことがうかがえる」と語る。
さらに、家の中は中国軍により《書籍や家宝となるやうなものが沢山荒し放題あらされて或いは踏み荒らされ》といった状況で、
《惜しいと思いました》と無念さを記している。
・「支那の兵隊」と同一視は「かなわない」
日本軍は南京城内で住民を殺し、ほかの地域でも残虐行為を行った-と中国側は主張する。
しかし、その後山東省や北京近郊などの戦線で任務に就いた源次郎さんが妻にあてた私信からは、日本兵と住民の
異なる関係が浮かび上がる。
手紙では、中国人の匪賊(非正規武装集団)と住民の戦闘が絶えず、住民が殺されたり、子供が誘拐されたりする悲惨な
出来事が繰り返されているとし、《いくら日本軍が討伐しても、三年や五年で尽きるものではない》と訴えている。
また、住民との関係について《支那では兵隊は良くない人間ばかりなので(住民は)日本軍も同じように考えているのです。
兵隊は悪いことをするものという考えがあるからすぐ逃げる。支那の兵隊と一緒にみられてはかなわないね》
だが、日本兵に対する住民の見方は徐々に変化する。
(更に続く)
3: ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:21:13.06 ID:???.net
(>>2の続き)
《最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、
品物も買ってくれると…》
《支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を
人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です》
「日中戦争時の日本軍の残虐性を示す」とされてきた当時の写真が、その後の検証で匪賊や中国側によるものと判明した
ケースもある。源次郎さんの記述からも、中国大陸であったとされる「蛮行」は、果たして日本軍による行為だったのかという
疑念すら浮かんでくる。
・日記に「虐殺」記述なし
戦後、源次郎さんは郷里に戻って中学校教員として家族を養った。邦夫さんらには戦場での話をしなかった。戦時中は
ひげを生やし、いかつい風貌(ふうぼう)だったが、家族には終始穏やかな態度で接していた。
「父が話したかったことは、残された日記や手紙にすべて収まっている。父らの世代が戦時中のことを語らないのは、
言えば自己弁護になるし、語ることを潔しとしない世代だったからではないか」
邦夫さんは父の足跡を伝えようと、日記や手紙などを本にまとめ、子供や孫、親類に配った。
防衛大学校に4期生として入校した邦夫さんが、防大の講義やその後の自衛隊生活で常に求められたのは規律だったという。
「強い軍隊ほど規律の保持が徹底される。逆に軍紀が厳粛だからこそ、戦場という場で能力が発揮できる」と実感を込めて
語る邦夫さん。戦後、突如として現れた「南京大虐殺」説に対して疑念をぬぐえず、悔しさをつのらせる。
「もし当時、虐殺といった不当行為を目撃していれば、父は真実を日記や手紙に書き残していただろう。日記からはそんなことは
うかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理なのに、戦後の大きな風潮のうねりの中で歴史の歪曲(わいきょく)に染まってしまった」
勝者が敗者を裁き、勝者が主張する虚構と欺瞞(ぎまん)に満ちた歴史観がまかり通る戦後の国際社会。歴史の真実を
明らかにすることは、源次郎さんら多くの日本軍将兵らとともに日本の名誉を回復することにほかならない。
(おしまい)
《最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、
品物も買ってくれると…》
《支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を
人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です》
「日中戦争時の日本軍の残虐性を示す」とされてきた当時の写真が、その後の検証で匪賊や中国側によるものと判明した
ケースもある。源次郎さんの記述からも、中国大陸であったとされる「蛮行」は、果たして日本軍による行為だったのかという
疑念すら浮かんでくる。
・日記に「虐殺」記述なし
戦後、源次郎さんは郷里に戻って中学校教員として家族を養った。邦夫さんらには戦場での話をしなかった。戦時中は
ひげを生やし、いかつい風貌(ふうぼう)だったが、家族には終始穏やかな態度で接していた。
「父が話したかったことは、残された日記や手紙にすべて収まっている。父らの世代が戦時中のことを語らないのは、
言えば自己弁護になるし、語ることを潔しとしない世代だったからではないか」
邦夫さんは父の足跡を伝えようと、日記や手紙などを本にまとめ、子供や孫、親類に配った。
防衛大学校に4期生として入校した邦夫さんが、防大の講義やその後の自衛隊生活で常に求められたのは規律だったという。
「強い軍隊ほど規律の保持が徹底される。逆に軍紀が厳粛だからこそ、戦場という場で能力が発揮できる」と実感を込めて
語る邦夫さん。戦後、突如として現れた「南京大虐殺」説に対して疑念をぬぐえず、悔しさをつのらせる。
「もし当時、虐殺といった不当行為を目撃していれば、父は真実を日記や手紙に書き残していただろう。日記からはそんなことは
うかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理なのに、戦後の大きな風潮のうねりの中で歴史の歪曲(わいきょく)に染まってしまった」
勝者が敗者を裁き、勝者が主張する虚構と欺瞞(ぎまん)に満ちた歴史観がまかり通る戦後の国際社会。歴史の真実を
明らかにすることは、源次郎さんら多くの日本軍将兵らとともに日本の名誉を回復することにほかならない。
(おしまい)
4: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:27:26.11 t
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9D%B1%E5%AD%E5%8D%E5%9B%9B%E5%B1%AF
アムール川(黒龍江)事件
>義和団に対する報復として派兵されたロシア兵 約2,000名が黒河鎮に
>渡河上陸し、清国人を虐殺。その結果、この時期に 清国人約二万五千名が
>ロシア兵に虐殺されてアムール川に投げ捨てられ、遺体が筏のように川を
>下って行ったという。
日本による虐殺の捏造をしながら、現実に起きたロシアによる虐殺はまったくスルー。
アムール川(黒龍江)事件
>義和団に対する報復として派兵されたロシア兵 約2,000名が黒河鎮に
>渡河上陸し、清国人を虐殺。その結果、この時期に 清国人約二万五千名が
>ロシア兵に虐殺されてアムール川に投げ捨てられ、遺体が筏のように川を
>下って行ったという。
日本による虐殺の捏造をしながら、現実に起きたロシアによる虐殺はまったくスルー。
6: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:47:13.09 t
古代中国の拷問方法
http://i.imgur.com/fmivNTy.jpg
http://i.imgur.com/jK2br3C.jpg
http://i.imgur.com/KLLCTWD.jpg
http://i.imgur.com/UVnRbIE.jpg
http://i.imgur.com/0ijSiHW.jpg
http://i.imgur.com/DaIeuwZ.jpg
http://i.imgur.com/rsWqLOe.jpg
あれ?これって旧日本軍が南京大虐殺でやったと言われてる拷問と同じじゃねえか(´・ω・`)
http://i.imgur.com/fmivNTy.jpg
http://i.imgur.com/jK2br3C.jpg
http://i.imgur.com/KLLCTWD.jpg
http://i.imgur.com/UVnRbIE.jpg
http://i.imgur.com/0ijSiHW.jpg
http://i.imgur.com/DaIeuwZ.jpg
http://i.imgur.com/rsWqLOe.jpg
あれ?これって旧日本軍が南京大虐殺でやったと言われてる拷問と同じじゃねえか(´・ω・`)
7: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/11(月) 23:50:22.42 t
30万とか随分少ないな
知り合いの中国人は3兆億万人って言っていたぞ(笑)
知り合いの中国人は3兆億万人って言っていたぞ(笑)
9: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 00:14:00.10 t
30万人も殺戮されるまで放置していた当時の中国
10: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 01:20:50.86 t
>>9
その後、3000万人虐殺されても放置していたのだから、放置していたとしても説明はできる
その後、3000万人虐殺されても放置していたのだから、放置していたとしても説明はできる
11: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 01:31:56.54 t
秦の長平の20万人大虐殺でさえ史料が残ってんのに
12: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:04:23.78 t
【社会】「南京大虐殺30万人説」 日本にも歴史〝ねじ曲げ〟放置した重い責任 元兵士証言から浮かぶ歴史の真実★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427681363/
【歴史】南京大虐殺の百人斬り報道 戦意高揚のための明らかなホラ話 (朝日新聞の慰安婦報道然り)メディアの責任は重い[2/26]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1424988220/
【中国】中国の日本人虐殺「通州事件」、鼻に針金通し青竜刀で体抉る[04/07]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1428396384/
【中国】日本人200人超虐殺の通州事件、中国指摘する南京事件と酷似★2[04/06]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1428315865/
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427681363/
【歴史】南京大虐殺の百人斬り報道 戦意高揚のための明らかなホラ話 (朝日新聞の慰安婦報道然り)メディアの責任は重い[2/26]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1424988220/
【中国】中国の日本人虐殺「通州事件」、鼻に針金通し青竜刀で体抉る[04/07]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1428396384/
【中国】日本人200人超虐殺の通州事件、中国指摘する南京事件と酷似★2[04/06]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1428315865/
14: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:18:13.61 t
三十万の馬鹿馬鹿しさよ!
15: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:21:05.76 t
虐殺と虚数って字面が似てるよね。
16: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:23:19.82 t
韓国を助けるな、教えるな、関わるな 古田博司氏に聞く「東アジア3カ国との付き合い方」
長年、朝鮮半島の歴史や政治を研究してきた筑波大学大学院教授の古田博司氏は
「韓国に対しては『助けない、教えない、関わらない』を『非韓三原則』にして日本への甘えを断ち切ることが肝要」と説く。
助けても教えても恩を仇で返すのが彼の国の性格で、関わらないのが日本のためになるという。
中国、北朝鮮に対してもほぼ同様に接するのが賢明だと主張する。
なぜ「非韓三原則」なのか
井本 「非韓三原則」を説く理由からお聞きします。
古田 助けてもロクなことがないから。教えても感謝せず、むしろ「ちゃんと教えない」などと難癖をつけてさらに要求してくる。
日本は幕末から明治維新にかけて初めて西洋に出会った、とよく言われますが、実は当時、東洋にも初めて出会ったのです。
何も知らないのに、自分も東洋人だから、東洋のことはよく知っていると思い込んでいた。それが間違いのもとだった。
明治期の朝鮮は驚くほど遅れた貧しい国家で、針一本作れない。木を丸くする技術もないので樽もクルマの車輪も作れない。
染料がないので、衣服はすべて白衣でした。近世でも中世でもなく、古代に近かった。
清国(中国)は大国ではあったが、古代王朝の世界に沈潜していた。ウソ、ごまかし、裏切り、汚職が横行する。
それが東洋であり、実は日本は東洋ではなかった。それなのに、東アジアの現実を何も知らず、
「日本は東洋の国々と連携して西洋列強に対抗しなければならない」と考えるアジア主義が広がっていました。それは今でも続いていますが。
戦後は、戦前に中韓に迷惑をかけたという贖罪意識もあって友好第一ということになった。
でも、援助しても教えても、反日運動は強まるばかり。プライドが高く、日本を見下しているからです。
だから関わらないことが日本にとって一番なんです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43424
長年、朝鮮半島の歴史や政治を研究してきた筑波大学大学院教授の古田博司氏は
「韓国に対しては『助けない、教えない、関わらない』を『非韓三原則』にして日本への甘えを断ち切ることが肝要」と説く。
助けても教えても恩を仇で返すのが彼の国の性格で、関わらないのが日本のためになるという。
中国、北朝鮮に対してもほぼ同様に接するのが賢明だと主張する。
なぜ「非韓三原則」なのか
井本 「非韓三原則」を説く理由からお聞きします。
古田 助けてもロクなことがないから。教えても感謝せず、むしろ「ちゃんと教えない」などと難癖をつけてさらに要求してくる。
日本は幕末から明治維新にかけて初めて西洋に出会った、とよく言われますが、実は当時、東洋にも初めて出会ったのです。
何も知らないのに、自分も東洋人だから、東洋のことはよく知っていると思い込んでいた。それが間違いのもとだった。
明治期の朝鮮は驚くほど遅れた貧しい国家で、針一本作れない。木を丸くする技術もないので樽もクルマの車輪も作れない。
染料がないので、衣服はすべて白衣でした。近世でも中世でもなく、古代に近かった。
清国(中国)は大国ではあったが、古代王朝の世界に沈潜していた。ウソ、ごまかし、裏切り、汚職が横行する。
それが東洋であり、実は日本は東洋ではなかった。それなのに、東アジアの現実を何も知らず、
「日本は東洋の国々と連携して西洋列強に対抗しなければならない」と考えるアジア主義が広がっていました。それは今でも続いていますが。
戦後は、戦前に中韓に迷惑をかけたという贖罪意識もあって友好第一ということになった。
でも、援助しても教えても、反日運動は強まるばかり。プライドが高く、日本を見下しているからです。
だから関わらないことが日本にとって一番なんです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43424
17: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:25:10.99 t
嘘で塗り固めた歴史を振りかざす土人国家から日本は決別する以外生きる道はない
18: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:30:27.26 t
朝日の捏造を打ち破った産経さんもっと本気出せ
19: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:31:49.51 t
規律とかは知らんけど、人数多すぎだよなw
20: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:32:20.48 t
匪賊=便衣兵って認識でいいのか
22: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:36:41.11 t
>南京事件「虐殺30万人」に疑念
知ってた
知ってた
23: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:39:53.91 t
北京に行ってきた
小煩い中国人に接っしていると
大虐殺があってもおかしくないなと思った
小煩い中国人に接っしていると
大虐殺があってもおかしくないなと思った
24: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 02:54:01.21 t
産経は慰安婦の次は南京をよく取り上げているな
しかし本多勝一は骨があるぞ
国内の論争からは逃げ回ってアメリカで日本の悪口を言ってる植村や
靖国を煽ったことを追及されて忙しいからと逃げて
靖国関連の取材の電話に出なくなった加藤千洋とは違う
昔から石原慎太郎相手に南京論争をしてきたし、
去年の朝日新聞が袋叩きにされてたときも
本多だけ逃げずに論争してた
しかし本多勝一は骨があるぞ
国内の論争からは逃げ回ってアメリカで日本の悪口を言ってる植村や
靖国を煽ったことを追及されて忙しいからと逃げて
靖国関連の取材の電話に出なくなった加藤千洋とは違う
昔から石原慎太郎相手に南京論争をしてきたし、
去年の朝日新聞が袋叩きにされてたときも
本多だけ逃げずに論争してた
25: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 03:20:55.73 t
30万人も虐殺したら南京市街は死臭で誰一人住んでいられないだろう!
葬式等で人の死臭が如何なものか肌や鼻に残る匂いは中々落ちませんよ。
葬式等で人の死臭が如何なものか肌や鼻に残る匂いは中々落ちませんよ。
26: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 05:08:35.62 t
徴兵制の軍国主義の韓国と、原爆を持つ共産党の中国が、
戦争放棄の平和国家の日本を非難するとは面白いわな。
どれだけ戦後援助をしてきたか、恩も感謝も全く感じない。
中韓は在日を含め、日本人の感情は通じない。
理想論で呼びかけても、利用され盗まれパクられるだけ。
軟弱な日本の態度が、中韓の野心に火をつけ、地域の混乱を引き起こすのだ。
中韓の教科書に日本の言い分が書いてあるか?日本の悪口とデマばかりだ。
朝日などのマスコミは自分たちが火をつけ拡大させた慰安婦や強制連行、南京事件などの責任を回避しようとする反省のない最低の反日集団だ。
戦争放棄の平和国家の日本を非難するとは面白いわな。
どれだけ戦後援助をしてきたか、恩も感謝も全く感じない。
中韓は在日を含め、日本人の感情は通じない。
理想論で呼びかけても、利用され盗まれパクられるだけ。
軟弱な日本の態度が、中韓の野心に火をつけ、地域の混乱を引き起こすのだ。
中韓の教科書に日本の言い分が書いてあるか?日本の悪口とデマばかりだ。
朝日などのマスコミは自分たちが火をつけ拡大させた慰安婦や強制連行、南京事件などの責任を回避しようとする反省のない最低の反日集団だ。
27: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 05:34:28.09 t
そもそも
事件そのものを否定してたのに
数字が根拠なしにドンドン増えてったんだよ
30万なんてチャンチャラおかしいわ
腐れ毎日新聞の記者すら見てないんだから
無いわ
事件そのものを否定してたのに
数字が根拠なしにドンドン増えてったんだよ
30万なんてチャンチャラおかしいわ
腐れ毎日新聞の記者すら見てないんだから
無いわ
28: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 06:14:45.25 t
ほんとに史上最大の冤罪事件だと思う
朝鮮の件もだが
朝鮮の件もだが
29: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 06:29:50.52 t
中国で民間人を殺してたのは中国人でしたってのがなんとも中国らしい
30: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 06:34:16.47 t
しってた
31: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 06:45:33.33 t
白髪三千丈の国だから、何事にも誇張する。
察して余る。
察して余る。
32: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 09:06:34.51 t
33: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 09:21:25.71 t
中国人の匪賊(非正規武装集団)って人民軍と便衣兵とは別物???
35: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 10:30:10.96 t
頭のおかしい連中だな。
何人事件が、中国人の拷問方法で殺されまくってるのが
何よりの証拠だろ?
中国が崩壊したら、軍の離脱者が賊になって
同じような方法で民間人を虐殺するんだろ?どうせ(´・ω・`)
南京事件は中国人の仕業
何人事件が、中国人の拷問方法で殺されまくってるのが
何よりの証拠だろ?
中国が崩壊したら、軍の離脱者が賊になって
同じような方法で民間人を虐殺するんだろ?どうせ(´・ω・`)
南京事件は中国人の仕業
引用元: 【産経】南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」[5/11]
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