2016年1月30日土曜日

【日中】日本には武士が存在し、中国には存在しなかったのはなぜだ=中国メディア


1: ◆qQDmM1OH5Q46 投稿日:2016/01/29(金)16:55:24
中国メディアの騰訊新聞は26日、「なぜ、日本には武士が存在し、中国には存在しなかったのか」
と題する記事を掲載した。中国では「武士」や「武士道」が「軍国主義の原因」と否定的に紹介される
場合が多いが、同記事は日本と中国の国情と歴史的発展の違いを客観的に説明した。

 記事はまず、過去の「農耕時代」には生産性が低かったたために土地争いが深刻であり、
兵力の多い者が大きな権力を握ることになったと紹介。
土地を確保するために「武士階級」が出現したのは、日本だけでなく古い時代の中国も同じと論じた。

 違いとしては、中国では武士階級が早い時期に消失したのに比べ日本では「源平の戦い」以降、
700年も武士による「軍政」が継続したと指摘。1885年に内閣制度が発足してから
1945年の終戦までに29人が首相となったが、うち25人までが武士階級の出身だったことにも触れた。

 記事は、中国で武士階級が消滅した原因として、中国が大陸国家であり、
「内陸部から来る勢力との衝突」がしばしば発生し、「大統一により力量を集中させる」方向に
歴史が動いたのに対して、日本は小さな島国で、さらに耕作可能な土地が沿岸の小さな平野や、
山に囲まれた盆地しかなかったので、大きく広がるよりも、地方ごとに別れる「割拠主義」が強くなったと論じた。

 中国にも漢代末期、唐朝末期や宋代には地方で軍事勢力が割拠する場面もあったが、
地方が割拠するままで歴史が推移していくのではなく、中央政権が地方割拠の問題を解決できなければ、
「地方出身の勢力」によって王朝が交代することになったと指摘した。

 日本では、大化の改新で租庸調や班田収授の中央集権制度を設けたが、地方からは不満が出たと紹介。
結局は、荘園が中央政府に従わなくなり、天皇の政治的影響力は衰微したと論じた。
そして、地方の武士勢力が日本史の主役になったと説明した。

 記事は、「中央政権が全国を一律に統治する」時代を「帝国時代」と表現。
日本が「帝国時代」を迎えたのは明治時代であり、極めて遅かったと指摘。
一方、中国は極めて早く「帝国時代」を迎えたが社会は安定せず、再び分裂時代に戻ることもあったと説明し、
「帝国時代」の経験について日中は「両極端」だったと主張した。

続き サーチナ
http://m.news.searchina.net/id/1601128

◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 35◆◆◆
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119: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)21:30:04
>>1
徳川家康「・・・、え?」


214: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)16:37:05 ID:03q
>>1
農業の生産性が低かったのは水と金が同等の価値だった中国のほうだろ


3: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:02:15
三國志時代には優れた武将がいたではないか


4: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:05:05
属国だった韓国にいたらしいから、宗主国の中国様にいないなんてありえないよ。


7: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:11:50
武士、武人が守るべき貴人が居なかったからだろう?
日本の武家政権は建前としては全部「天皇を守る武士が天皇の代理で政権運営をしている」んだから、守るべき貴人が居なければ成り立たんよ


10: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:20:48
>>7
まあこれだよな。

そういった建て前があったからこそ統治に関しても割と穏やかな統治だった。
恐怖政治とかは逆に一揆の元になったしな。

古来より日本の平和は陛下の御威光に守って貰っている感じだな。


14: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:27:46
>>10
日本の場合、武士のトップを任命する「天皇」って存在が保たれてたからねぇ

中国みたいに頂点がバンバン替わっていったら
仕える対象が固定されないから、文化が生まれない


78: 警備員◆OQUvCf9K4s 投稿日:2016/01/29(金)19:23:12
>>10
権威と権力の分割は、世界的にも珍しい統治方法だとか。
だから日本と言う国体が2700年も続いたと思う。


79: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)19:26:53
>>78
現在の英国王室なんかは典型例だと思うけど。
「君臨すれども統治せず。」
長続きしそうだね。


81: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)19:27:57
>>78
教皇の権力が低かった時代もあるけど、教皇領なんかは長いこと持ってたし。
権力と権威が分離したら普通続かないんだろう。


13: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:23:43
>>7
皇帝がいただろうけど、武人が帝位についちゃうからな。
実用的武力が形式的権力と結びついちゃうと武人階級は生まれないわけだ。


15: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:30:44
>>7
皇帝がいたとおもうけど。

というか、中国のは基本的には武士と言うよりは武官なんだよな
つまり中国と日本の一番の違いは権威と権力の入れ子構造にあると思うんだわ
日本の場合は古代には中国と同じで朝廷の直属の武官が朝廷の名の下に
武を振るったわけだが、日本の場合はこの権力の部分だけが切り離され武士が奪取したため
ある意味平等な状態の「領主」たちが、互いに国家といえるものを形成して武士を抱えて
争うという形になった、つまり中国の武官があくまでも武をつかさどる官人であるのに対して
日本の武士は領主に対して私的に仕える武人で有ったところじゃないかな。


11: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:20:58
まさか、中央政権を批判?


16: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:32:08
つっこみどころおおいなー。
そりゃ幕府時代長いけど、どれも陛下の信任を得てるんだから、
ずっと天皇陛下の御代だわな。

あと刀狩りに一切触れないのな。
触れたらストーリー矛盾しちゃうもんな


19: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:34:32
>>16
朝廷の権威と武士の棟梁の権力
というのが完全に分けられたからこそ、日本の国体が2000年続いた理由だから
そこをないがしろにすると日本の文化は見えてこないわな。


22: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:37:53
制度としては日本の封建体制は、アジアのそれよりは欧米の騎士・貴族制度に近い
実際西洋人は日本の幕藩体制を、藩主を王と認識し将軍をその王を支配する皇帝とみなしている
そして日本には二人の皇帝が居ると記録し帝は、宗教的な権威と見ていてローマ法王に近い元の理解していた。


29: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)17:49:17
>>22
同意
中国人は、文武両道の精神に憧れている?
遠回しに、宦官政治←「文」(中央集権)を下げてる気がするわ


51: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)18:13:13
天皇の国内での位置づけが皇帝ではなく
宗教指導者や象徴になったことだろう
欧州でも宗教指導者と王に別れて貴族がいる


52: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)18:14:35
帝は神道の生き神さまだったけど


55: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)18:17:58
武士をどういう意味合いで使ってるかによるけど
軍事力を持ち、民衆を支配する存在って意味あいなら
中国にもずっと存在していたと思うけど
基本的に地方軍閥、ないしは域外の軍事勢力が
時の王朝の中央集権の官僚の目を盗んで力をつけてクーデターって
中国の王朝交代の基本パターンのような

今の人民解放軍だって、元は地域地域の軍閥でしょ
単なる軍事組織じゃなくて経済活動も行ってるし今でも立派な軍閥ともいえる
それらが十分力をつけ、北京王朝を見限った時が中華人民共和国王朝の終焉なんだろうな


99: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)19:50:32
中国の神話にはロマンがあるよね。
日本人が、真実の中国人を知るまで、日本人は中国に神話のロマンを感じて、一種の憧れを抱いていたと言える。
神秘のベールがはがれたそこには、余りに酷い現実があったのさ


115: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)21:15:18
武士の「士」って本来は官僚的な意味だからな・・・


116: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/29(金)21:19:43
呼び名だけの問題じゃねーの?
三国志とか読んでると、そんなに変わらんと
思うのだがなぁ


128: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)02:00:26
中国は職業軍人みたいな家はあったけど、王朝交代で滅んだり、社会が安定すると基本的に文を重んじるから官僚にシフトしちゃうしな
それに階級的に文官が軍務も兼ねちゃうというか、結局は政治家の中の一種でしかないし、私兵として傭兵を雇う貴族も傭兵に官位はあげないしな
皇帝の近衛兵も貴族の子弟だろうし、純粋な軍人がいないというか必要なかったんじゃね


171: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)07:41:51
中国って宦官文化が発展したイメージ


176: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)10:29:30
武士は韓国発祥と言いふらすどっかの国よりましかもな(笑)


178: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)10:36:47
思想とか治世学とか、そっちの発展の差じゃないかな。
中国では思想や治世学が発達して世間に広まった。
そのため文武両道が不可能になって、文人と武人が別れた。

日本はまだそこまで治世学が発達してなかったから、
武士が兼務する事が出来る範囲のうちに、
黒船がやって来て明治維新が始まった。

統治しなければならない国の大きさも
日本はもともと小さい上に、さらに領地に分けていたから、
そこまで特化した文人が必要なかったのかもしれない。


180: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)10:47:09
鎌倉幕府は貴族支配に対する武士のクーデターだったが
日本が変わってるのは棲みわけと共存が出来たことだろう
あの武士社会への転換がなければ
元寇の被害がもっと大きかったとか


181: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)10:55:27
日本も豪族など武力集団だったものが変化して武士道と呼ばれるものが普及的なものになったのはだいぶ後の時代だからな

戦国時代を経て日本は武力階級に忠義と誠実さを大事にする文化が深く醸成されて行ったのに対して
中国は騙される方が悪いって力が有れば何をやっても良いし外道こそが正義みたいなろくでもない文化が常に付きまとってた

モラルの育成の度合いとそれによる社会の安定性の違いよね


183: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)11:00:33
正確には中国じゃないけど匈奴とか遊牧民族がそれに近いんじゃないの?


185: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)11:04:52
支配者がとって代わるたびに旧支配者を根絶やしにして
文化も言語もリセットしてきた土地で育つわけがない


195: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)11:41:56 ID:03q
>>185
日本との違いはそこだよね
中国では統治者が変わるたびに旧支配層の淘汰を繰り返してきたからな


188: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)11:09:52 ID:ikb
追記
荘園と領地は似ているようで違うからな
上級貴族は基本荘園に下向する事はなく
京都で暮らしながら荘園管理者に荘園を任していた
でこの荘園管理者や都では食えないので下向した下級貴族が
盗賊や境界争いのために武装し始めたのが武士の始まり
で武を嫌った上級貴族たちは、彼らを雇って軍事などの汚れ仕事をされた
ここで武官ではない武士が生まれるわけだ


198: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)11:55:54 ID:03q
>>188
開発領主とは、日本の荘園公領制において、田地を開発して領地を確保した者をいう。根本領主ともいう。

開発領主は、権利の所在を明記した文書(公験)を大事に保管し、子孫代々伝世していった。
しかし、国司が交代すると認可を取り消される可能性も高く、境界などを巡って
他の開発領主などと紛争が起こることもたびたびあった。

開発領主は国衙よりも権威のある中央の有力貴族や有力寺社へ開発田地を寄進して(寄進型荘園)、
国衙の圧力を断ち切ることで支配権・管理権を確保していった。
荘園寄進時に、開発領主は寄進先の荘園領主から荘官に任じられることが多く見られた。


201: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)12:06:02 ID:03q
週刊ヒュンダイやポストとかの古代史系プロパガンダ記事で
古代日本では血の穢れを嫌うとか出てくるからそれの影響?


205: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)12:43:12 ID:03q
知行に対する勘違いが原因かな?

「りょうち」という語は今日では「領する地」を意味する「領地」の表記が用いられることが普通だが、
本来は「領する知行」を意味する語であり、「領知」の表記を用いるべきものであった。
つまり、土地に対する支配権だけではなく、そこに所属する住民に対する支配権なども包含した概念なのである。


210: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)15:28:33 ID:03q
知行のブリタニカ百科事典
ちぎょう

平安~室町時代における所領の直接支配および江戸時代における所領の間接支配を表わす法律用語。
平安時代以後,荘園制の発達とともに,土地用益の事実を,領掌,領知,知行などと呼ぶようになった。

知行国
ちぎょうこく

沙汰国,賜国,分国ともいう。
平安~室町時代に特定の皇族,貴族,寺社,のちには武家などに,
律令制上の国の知行権を与え,収益を得させる制度が行われた国。
>>9世紀頃から食封 (じきふ) 制度が次第に衰え,これを補うために年給制度が行われるようになったが,
律令制の国司制度が崩壊し変質しはじめると知行国制が起った。


213: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)16:34:43 ID:03q
歴史教科書に荘園なんて書くから駄目なんだな
古来からの知行と書けば領知でも話が通る


225: 名無しさん@おーぷん 投稿日:2016/01/30(土)20:50:28
日本と中国は別の国と文化なんだから違うのは当たり前


引用元: 【日中】日本には武士が存在し、中国には存在しなかったのはなぜだ=中国メディア [H28/1/29]

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